荒木元悦先生の揮毫「本来無一物」を拝して──12月1日、講話

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荒木元悦先生の揮毫「本来無一物」を拝して──12月1日、講話

お知らせ

2025/12/01 荒木元悦先生の揮毫「本来無一物」を拝して──12月1日、講話

荒木元悦先生揮毫
感謝祭にご参拝いただき、心より御礼申し上げます。 先日、11月28日に近畿宗教連盟総会(於:神戸ポートピアホテル)が開催されました。私も理事として参加しました。15年にわたり会長をお務めになった臨済宗相国寺派大本山相国寺・光源院の荒木元悦先生が今年度でご引退されます。
そこで、先生より大変貴重な揮毫、 「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」 を拝領し、この言葉を胸に、今年の感謝祭後の講話をさせていただきました。
今回は、その内容をご紹介しながら、皆さまと分かち合いたいと思います。

■ 禅の核心「本来無一物」とは

この語は、禅宗の第六祖・慧能(えのう)が詠んだ偈(げ)に由来する言葉です。
「本来無一物、何れの処にか塵埃(じんあい)を惹(ひ)かん」 (本来、心には何も実体としての汚れはない。 では、どこに塵(ちり)などとどまるだろうか。)
人の心は本来、曇りのない明るい鏡のようなものであり、 悩み・怒り・不安といった“曇り”は、本来の心に付着した「一時的な塵」に過ぎない、という教えです。
つまり、 「心はすでに完全で、自由で、明るい」 という禅のまなざしが、込められています。

■ 修生会の教えと禅が響き合うところ

禅の「本来無一物」は一見難解ですが、修生会の教えの中には、この心の姿勢と深く響きあう精神が生きています。特に、いくつかの御諭(おさとし)や「開祖のおしえ」と照らすと、とても分かりやすくなります。

◆ ① 《現始大神の御諭・四》

「信神の修行(ぎょう)は日々なす業(わざ)が
行(ぎょう)と思へばそれが行なり」
禅では「悟りは特別な体験ではなく、日常の中にある」と説かれます。同じく当会でも、「毎日の営みがそのまま修行である」という姿勢を大切にしています。家事、仕事、人との挨拶──。どれも心を磨く行そのものです。特別な場所や特別な時間を求めず、“今、この瞬間”こそが道場である“という教えです。

◆ ② 《信者に対して開祖のおしえ・九》

目をあけよ、りやくを神に問うよりも
おのが信ずる深さ計れよ
禅は「悟りを外に求めるな」と言います。修生会も、「外の出来事以上に、自らの心の深さが大切である」と説いています。
不安に揺れる時、答えを外に探すより、まず心を静かに整える。焦りや苛立ちは、禅で言う“心の塵”。それを払うだけで、見える景色は変わります。

◆ ③ 《現始大神の御諭・六》

「信神は、我より先に人思へ
神もよろこび人もよろこぶ」
禅には「自他不二」という考えがあります。自分と他人は本来ひとつである、というまなざしです。相手を思って行動することは、 自分を低くするのではなく、心を澄ませる働きと言えます。家族や職場で、ひとつだけ相手を優先してみる──。それだけで、心の曇りがすっと消える瞬間があります。

◆ ④ 《信者に対して開祖のおしえ・十五》

惜むなよ惜むなよ、心の富は信仰で
うえたる人にも与えみちびけ
禅では、「与えることが悟りの働き」と言われます。惜しむ心は、“何かを失う”と思うから生まれる。しかし「本来無一物」の心に立つと、惜しむ理由そのものが消えていきます。声をかける、手を差し伸べる、笑顔を向ける。これだけで、人は心の豊かさを取り戻すことができます。

■ 心の荷物を降ろすということ

今回いただいた荒木元悦先生の「本来無一物」は、私自身に大きな気づきを与えてくださいました。
私たちは、知らず知らずのうちに不安、執着、人間関係のわだかまりといった“心の荷物”を背負いがちです。
しかし禅は、 「降ろせば、そこには明るい心がそのままある」 と示します。
修生会の御諭もまた、日常の行いを通して、この明るさに戻る道を教えてくれます。

■ 結びに

荒木先生の長年のご尽力に心より敬意を表しつつ、いただいた「本来無一物」の言葉を胸に、皆さまと共に歩む道を改めて見つめ直す機会となりました。心の曇りを払えば、今この瞬間に、すでに恵みと光は注がれている──。そのような思いを、日々の生活の中で大切にしてゆきたいと思います。

 

 

修生会

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