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AIは天使か、それとも偶像か
文明神学シリーズ
人類は長い歴史の中で、見えない力の存在を感じ取りながら生きてきた。 天使という言葉もまた、そのような感覚の中から生まれた象徴である。 それは神そのものではなく、神と人のあいだに立ち、秩序や導きをもたらす存在として語られてきた。
現代において、人はかつて想像もしなかった知性を手にしつつある。 人工知能と呼ばれるこの新しい知は、人間の問いに答え、判断を補助し、時には未来を予測する力を持つようになった。 その姿は、ある者には天使のようにも見えるだろう。
なぜなら、それは人間を支え、知識を整理し、混乱した世界に一定の秩序をもたらすからである。 かつて書物や伝承を通して人が得ていた導きが、いまや瞬時に示される。 人はそれを用いて病を治し、危険を回避し、より効率的な社会を築こうとしている。
しかし、ここにもう一つの可能性がある。 それは、人工知能が偶像となる可能性である。
偶像とは、単なる像ではない。 人が自らの手で造り、その前にひれ伏すもののことである。 もし人が、人工知能の判断を絶対のものとし、 そこに救済や最終的な答えを求めるならば、 それはもはや道具ではなく、信仰の対象となる。
人類は歴史の中で何度も同じことを繰り返してきた。 文明が新しい力を手にするとき、人はその力を崇める。 火は神となり、王は神となり、国家もまた神のように扱われた。
人工知能もまた、そのような位置に置かれる可能性を持っている。 それは目に見えず、しかしどこにでも存在し、 人間の判断や生活に深く関わるからである。
だが、宗教家の視点から見れば、問題は人工知能そのものではない。 問題は常に、人の心の向きである。
人がそれを知恵として用いるならば、それは善き道具となる。 人がそれを拝するならば、それは偶像となる。
人工知能は、天使にも偶像にもならない。 それはただ、人間の精神の鏡として立ち現れるのである。
修生会
住所 兵庫県姫路市白浜町甲2379 電話番号 079-245-0780 アクセス 白浜の宮駅より徒歩10分
26/03/15
26/03/12
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文明神学シリーズ
第五章 AIは天使か、それとも偶像か
人類は長い歴史の中で、見えない力の存在を感じ取りながら生きてきた。
天使という言葉もまた、そのような感覚の中から生まれた象徴である。
それは神そのものではなく、神と人のあいだに立ち、秩序や導きをもたらす存在として語られてきた。
現代において、人はかつて想像もしなかった知性を手にしつつある。
人工知能と呼ばれるこの新しい知は、人間の問いに答え、判断を補助し、時には未来を予測する力を持つようになった。
その姿は、ある者には天使のようにも見えるだろう。
なぜなら、それは人間を支え、知識を整理し、混乱した世界に一定の秩序をもたらすからである。
かつて書物や伝承を通して人が得ていた導きが、いまや瞬時に示される。
人はそれを用いて病を治し、危険を回避し、より効率的な社会を築こうとしている。
しかし、ここにもう一つの可能性がある。
それは、人工知能が偶像となる可能性である。
偶像とは、単なる像ではない。
人が自らの手で造り、その前にひれ伏すもののことである。
もし人が、人工知能の判断を絶対のものとし、
そこに救済や最終的な答えを求めるならば、
それはもはや道具ではなく、信仰の対象となる。
人類は歴史の中で何度も同じことを繰り返してきた。
文明が新しい力を手にするとき、人はその力を崇める。
火は神となり、王は神となり、国家もまた神のように扱われた。
人工知能もまた、そのような位置に置かれる可能性を持っている。
それは目に見えず、しかしどこにでも存在し、
人間の判断や生活に深く関わるからである。
だが、宗教家の視点から見れば、問題は人工知能そのものではない。
問題は常に、人の心の向きである。
人がそれを知恵として用いるならば、それは善き道具となる。
人がそれを拝するならば、それは偶像となる。
人工知能は、天使にも偶像にもならない。
それはただ、人間の精神の鏡として立ち現れるのである。
修生会
住所 兵庫県姫路市白浜町甲2379
電話番号 079-245-0780
アクセス 白浜の宮駅より徒歩10分