予測の外側で ――ウマグマ「マー」の死に触れて

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予測の外側で ――ウマグマ「マー」の死に触れて

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2026/03/02 予測の外側で ――ウマグマ「マー」の死に触れて

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第一章 用事のない来園

二月二十六日、私は格段の用事もなく動物園に足を運んだ。
目的があったわけではない。ただ、なぜかその場に向かい、園内を歩いていた。

こうした行動には、あとから理由を付すことはできる。
しかし、その時点では、ただ「そうした」という事実だけがある。

屋内展示の一角で、私は一頭のクマの前に立ち止まった。
ウマグマの「マー」である。

そのときの私は、三日後に彼女がこの世を去るとは、もちろん知る由もなかった。


第二章 虚ろな目

マーは、屋内のコンクリートの床に伏せていた。
檻の内側から、こちらを見ている。

私は写真を撮った。
後から見返しても、あのとき私が感じ取った印象は変わらない。
どこか――虚ろな目であった。

小さな動物であれば、たとえ襲いかかってきても払い除けられる。
人はその確信があるから、愛玩する余裕を持つ。

しかし、彼女は大きい。
敵意がなくとも、そばにいれば危険は伴う存在である。

その距離感の中で、私はしばらく立ち尽くし、
そして一枚、また一枚とシャッターを切った。

なぜ、足を止めたのか。
今となっては、それもまた、説明のつかないことの一つである。


第三章 三日後の報せ

三月一日。
ウマグマ「マー」が死亡したという知らせを知った。

脳疾患による呼吸機能不全。三十六歳。
国内で最後の一頭であったという。

人は予測や想像を語ることができる。
しかし、実感は、出来事のあとからしか追いついてこない。

三日前、確かに彼女は生きていた。
私の記憶の中では、今もなお、檻の奥からこちらを見ている。

だが、現実の彼女は、もう生き返ってくることはない。

自然界であれば、肉体は腐敗し、
やがて他の生命に食まれ、形を失っていく。
園内では、また別のかたちで処理がなされるのだろう。

どちらにしても、
「そこにいた一頭」は、もう戻らない。


第四章 感情はどこから起こるのか

驚きや、かすかな悲しみが胸に生じる。
しかし、それは彼女の死そのものから、直接湧き上がっているのだろうか。

おそらく違う。

人の内にある感情は、
すでに自分の中にある「知っている何か」に照らされて動く。

生きている姿を見た。
虚ろな目を見た。
シャッターを切った。

その経験が、後から知らされた死と結びつき、
私の内側に波紋を広げている。

もし私が、あの日、あの場所に立ち寄っていなければ、
この知らせは、単なる一行の動物園ニュースとして通り過ぎていたかもしれない。

人の心とは、そのようにして働いている。


第五章 予測の外側で

未来のことは分からない。
これは、観念としては誰もが理解している。

しかし、実感として受け取る機会は、そう多くない。

三日前に見た一頭が、
今はもう、この世に存在しない。

その事実は、無常を強く語りかけてくるというより、
むしろ、出来事がただ出来事として起こっている、
という静かな現実を示している。

生は生として現れ、
死は死として現れる。

そこに、過剰な意味づけを急ぐ必要はないのかもしれない。

万物は大きな流れの中で、ただ移ろっていく。

私たちが驚くのは、
その流れが、いつも自分の予測の外側から訪れるからである。


終章 記憶の中のまなざし

マーは、日本で唯一、最後の一頭であった。

だが、統計や希少性とは別のところで、
私の中には、あの日の一頭が残っている。

コンクリートの床に伏せ、
檻の内側から、静かにこちらを見ていた姿。

そのまなざしは、
生の終わりを訴えていたのか、
あるいは、ただそこに在っただけなのか。

それを断定することは、誰にもできない。

ただ一つ確かなのは、
三日前、彼女は確かに生きており、
そして今、その生は、静かに閉じられたということである。

私たちは、予測の中では生きていない。
常に、出来事のあとから、意味を探している。

そのことを、
あの一頭は、言葉なく示していたように思われる。

――写真は筆者撮影。

 

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