079-245-0780
〒672-8023 兵庫県姫路市白浜町甲2379
檻の前に残された名 ――動物園で立ち止まった午後
先日、所用があり神戸方面へ出向いた折、わずかな空き時間に、ふと**王子動物園**に足を運びました。 計画していたわけではなく、いわば“ついで”の訪問でした。
二月二十六日の昼下がり。 園内には、子どもたちの明るい声が響いています。家族連れの姿も多く、動物園らしい穏やかなにぎわいに満ちていました。
しかし、その明るさの只中で、私は幾度も静かに足を止めることになりました。
園内を歩いていると、一つの石碑が目に留まりました。 そこには、かつてこの園で長く親しまれた象の生涯が記されています。
象の諏訪子―― 1943年生まれ。幼少期に来園し、その後半世紀以上にわたりこの動物園の象徴的存在として過ごし、2008年、65歳でその生涯を閉じたとありました。
多くの来園者に愛された存在への、いわば顕彰であり、同時に弔いの意味合いも込められているのでしょう。 私はしばらく、その石碑の前に立ち尽くしました。
周囲では子どもたちの歓声が絶えません。 ガラス越しに動物を指さし、無邪気に喜ぶ姿――それは本来、いのちに触れる自然で尊い光景です。
けれども私は、そのにぎわいの向こう側に、もう一つの静かな層を感じていました。
ここに名を残す動物たちは、もうこの世にはいません。 そして彼らは、自らの生涯を語ることも、自慢することもなく、この場を去っていきました。
一生懸命、生きただろうに。 その思いが、言葉にならぬまま胸の奥に沈んでいきます。
園内には、亡くなった動物の名前や没年が丁寧に記された表示がいくつも見受けられました。 それは忘れ去られないための配慮であり、人間側の誠実さの表れでもあるのでしょう。
それでも、宗教に身を置く者として、どうしても一つの問いが心に浮かびます。
彼らにとって、この生涯はどのようなものだったのだろうか。
人に飼われ、人に見られ、人に親しまれる。 それは一つの役割であり、意味のある歩みでもあります。
しかし、そのことが、彼ら自身の命の充足とどこまで重なっていたのか―― その内実は、私たち人間には測りきれません。
石碑の文字を読みながら、私はどこかに“まだ言葉になっていない部分”が残されているような感覚を覚えました。
動物園は、いのちを「見る」場所です。 しかし同時に、そこには「もう見えなくなったいのち」も確かに存在しています。
日々の暮らしの中で、私たちはどうしても、目に映るものだけに意識を向けがちです。 けれど本来、人の心には――
見えないものにも、静かに思いを向ける力
が備わっているのではないでしょうか。
にぎやかな園内で、 石碑の前にほんのひととき立ち止まる。 その小さな所作の中に、私たちのまなざしを整える働きがあるように思われました。
私ども修生会では、日頃より「いのちに対する向き合い方」を大切にお伝えしてきました。 それは決して大げさな儀礼だけを指すものではありません。
ふと立ち止まること。 静かに思いを向けること。 名前を心の中で呼んでみること。
そうしたごく小さな心の働きの中にも、供養に通じる大切な要素が宿ると、私は感じています。
今回の動物園でのひとときは、そのことをあらためて静かに思い起こさせる時間となりました。
帰り際、再び子どもたちの明るい声が耳に入りました。 その光景を否定する気持ちは、もちろんありません。
にぎやかに命に触れる時間。 そして、静かに思いを向ける時間。 その両方があってこそ、私たちのまなざしは深まっていくのではないでしょうか。
もし動物園を訪れる機会がありましたら、 檻の前に残された名前や、石碑の前で、ほんのひととき足を止めてみてください。
そこには、目には見えないもう一つの時間が、静かに流れているかもしれません。
修生会
住所 兵庫県姫路市白浜町甲2379 電話番号 079-245-0780 アクセス 白浜の宮駅より徒歩10分
26/02/27
26/02/26
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はじめに ――用事のついでの訪問
先日、所用があり神戸方面へ出向いた折、わずかな空き時間に、ふと**王子動物園**に足を運びました。
計画していたわけではなく、いわば“ついで”の訪問でした。
二月二十六日の昼下がり。
園内には、子どもたちの明るい声が響いています。家族連れの姿も多く、動物園らしい穏やかなにぎわいに満ちていました。
しかし、その明るさの只中で、私は幾度も静かに足を止めることになりました。
石碑の前で ――象の諏訪子
園内を歩いていると、一つの石碑が目に留まりました。
そこには、かつてこの園で長く親しまれた象の生涯が記されています。
象の諏訪子――
1943年生まれ。幼少期に来園し、その後半世紀以上にわたりこの動物園の象徴的存在として過ごし、2008年、65歳でその生涯を閉じたとありました。
多くの来園者に愛された存在への、いわば顕彰であり、同時に弔いの意味合いも込められているのでしょう。
私はしばらく、その石碑の前に立ち尽くしました。
にぎやかさの向こう側
周囲では子どもたちの歓声が絶えません。
ガラス越しに動物を指さし、無邪気に喜ぶ姿――それは本来、いのちに触れる自然で尊い光景です。
けれども私は、そのにぎわいの向こう側に、もう一つの静かな層を感じていました。
ここに名を残す動物たちは、もうこの世にはいません。
そして彼らは、自らの生涯を語ることも、自慢することもなく、この場を去っていきました。
一生懸命、生きただろうに。
その思いが、言葉にならぬまま胸の奥に沈んでいきます。
表記はある、しかし――
園内には、亡くなった動物の名前や没年が丁寧に記された表示がいくつも見受けられました。
それは忘れ去られないための配慮であり、人間側の誠実さの表れでもあるのでしょう。
それでも、宗教に身を置く者として、どうしても一つの問いが心に浮かびます。
彼らにとって、この生涯はどのようなものだったのだろうか。
人に飼われ、人に見られ、人に親しまれる。
それは一つの役割であり、意味のある歩みでもあります。
しかし、そのことが、彼ら自身の命の充足とどこまで重なっていたのか――
その内実は、私たち人間には測りきれません。
石碑の文字を読みながら、私はどこかに“まだ言葉になっていない部分”が残されているような感覚を覚えました。
見えない存在へのまなざし
動物園は、いのちを「見る」場所です。
しかし同時に、そこには「もう見えなくなったいのち」も確かに存在しています。
日々の暮らしの中で、私たちはどうしても、目に映るものだけに意識を向けがちです。
けれど本来、人の心には――
見えないものにも、静かに思いを向ける力
が備わっているのではないでしょうか。
にぎやかな園内で、
石碑の前にほんのひととき立ち止まる。
その小さな所作の中に、私たちのまなざしを整える働きがあるように思われました。
宗教者として感じたこと
私ども修生会では、日頃より「いのちに対する向き合い方」を大切にお伝えしてきました。
それは決して大げさな儀礼だけを指すものではありません。
ふと立ち止まること。
静かに思いを向けること。
名前を心の中で呼んでみること。
そうしたごく小さな心の働きの中にも、供養に通じる大切な要素が宿ると、私は感じています。
今回の動物園でのひとときは、そのことをあらためて静かに思い起こさせる時間となりました。
おわりに ――立ち止まるという供養
帰り際、再び子どもたちの明るい声が耳に入りました。
その光景を否定する気持ちは、もちろんありません。
にぎやかに命に触れる時間。
そして、静かに思いを向ける時間。
その両方があってこそ、私たちのまなざしは深まっていくのではないでしょうか。
もし動物園を訪れる機会がありましたら、
檻の前に残された名前や、石碑の前で、ほんのひととき足を止めてみてください。
そこには、目には見えないもう一つの時間が、静かに流れているかもしれません。
修生会
住所 兵庫県姫路市白浜町甲2379
電話番号 079-245-0780
アクセス 白浜の宮駅より徒歩10分