天智天皇と天武天皇は兄弟だったのか――非兄弟説の整理とその意味

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天智天皇と天武天皇は兄弟だったのか――非兄弟説の整理とその意味

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2026/01/20 天智天皇と天武天皇は兄弟だったのか――非兄弟説の整理とその意味

■ はじめに

天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇(大海人皇子)は、日本史の教科書において「兄弟」として説明されることが多い。しかし、史料を丹念に見ていくと、両者が実の兄弟であったと断定できる確実な証拠は存在せず、むしろ兄弟ではなかった可能性を示唆する点が少なからず存在することが分かる。本稿では、これまでの検討を整理し、「兄弟ではない」と言われる根拠から出発し、他の関係性の可能性、そしてその関係性が天武天皇の目指した新たな社会体制とどのように関係するのかを、確からしさの度合いを意識しながら記述しておきたい。

■ 兄弟説が「確定できない」理由

まず確認すべきは、天智・天武兄弟説の根拠が、決して盤石ではないという点である。

最大の史料である『日本書紀』は、天武朝の国家事業として編纂された歴史書であり、その叙述は天武政権の正統性を示すという明確な政治的目的を持っている。天智天皇を正統な前代天皇とし、その弟である天武が皇位を継いだ、という構図は、壬申の乱を「正当な皇位継承の結果」として説明するうえで極めて都合がよい。

しかし、『日本書紀』は天智天皇と天武天皇が「同母の兄弟」であることを明示していない。母とされる斉明天皇(皇極天皇)との関係も、記述は曖昧で、後世の解釈に大きく依存している。兄弟であるなら、同母・同父であることを明確に記しても不思議ではないが、そこに慎重さ、あるいは意図的な曖昧さが見られる点は看過できない。

■ 年齢差と皇位継承順の不自然さ

次に注目されるのが年齢差である。天智天皇は626年頃の生まれと推定され、天武天皇は630年代前半とされることが多い。仮に同母兄弟であった場合、斉明天皇が比較的高齢で天武を出産したことになるが、これ自体は不可能ではないにせよ、やや不自然さを伴う。

また、天智天皇の皇子(大友皇子)が皇太子に立てられた一方で、天武天皇が長期間「皇位継承の周縁」に置かれていたことも重要である。もし実の弟であり、しかも有力な皇族であったなら、より明確な地位が与えられていてもよいはずだが、実際には天智政権下で天武は微妙な立場に置かれていたように見える。

■ 「叔父・甥」あるいは「異母兄弟」説

兄弟ではないとする場合、次に検討されるのが他の血縁関係である。

比較的穏健な説としては「異母兄弟」説がある。父を同じくするが、母が異なるという関係である。この場合、政治的には兄弟として扱いつつも、血縁の近さには差が生じ、天智政権下での天武の位置づけの曖昧さも説明しやすい。

一方、より踏み込んだ説として「叔父・甥」関係を想定する見解もある。つまり、天智天皇が斉明天皇の実子であるのに対し、天武天皇は別系統の皇族で、年齢的にも一世代下に位置づけられる可能性である。この場合、天武が天智の「弟」とされるのは政治的な擬制であり、実際の血縁とは異なるという理解になる。

この説は確定的ではないものの、天武天皇が壬申の乱以前に極端に慎重な行動を取っていたこと、また敗れれば即座に滅亡しかねない立場にあったことを考えると、一定の説得力を持つ。

■ 天武天皇と「協力的でなかった勢力」

天武天皇が即位後に目指したのは、氏族連合的な王権から、天皇を中心とする中央集権国家への転換であった。律令制の整備、八色の姓の制定、神祇制度の再編などは、その象徴である。

この新体制に必ずしも協力的でなかった勢力として、まず挙げられるのが、天智天皇の政治路線を継承しようとする近江朝廷系の貴族層である。彼らは天智政権下で既得権益を得ており、天武による制度再編は、自らの地位を脅かすものであった。

仮に天武天皇が天智の「実弟」でなかったとすれば、これらの勢力にとって天武は、単なる政敵ではなく、「本来の王統から外れた存在」と映った可能性がある。そのことが、壬申の乱における激しい対立、そして天武即位後の徹底した制度改革につながったと考えることもできる。

■ なぜ「兄弟」とされたのか

最後に重要なのは、なぜ天武政権が天智との兄弟関係を強調する必要があったのか、という点である。

それは、壬申の乱を単なる武力革命ではなく、「正統な皇位継承の過程」として位置づけるためである。兄から弟へ、あるいは兄の系統から同世代の近親者へ、という形での継承は、日本古代において受け入れやすい論理であった。

言い換えれば、「兄弟であるか否か」という問題は、史実そのもの以上に、国家の自己説明の問題であった可能性が高い。

■ おわりに

現時点で言えるのは、天智天皇と天武天皇が実の兄弟であったと断定することも、完全に否定することもできない、ということである。ただし、兄弟説が確定的事実ではなく、政治的要請によって形成された可能性が高い、という点は強調しておきたい。

天武天皇の目指した新たな社会体制は、血縁の曖昧さや対立を内包しながらも、それを乗り越える形で構築された。その意味で、この「兄弟ではなかったかもしれない」という問いは、単なる系譜論ではなく、日本国家形成の核心に触れる問題なのである。

 

 

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