心のしこりが世界を形づくる――行為・認識・因果の哲学と宗教

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心のしこりが世界を形づくる――行為・認識・因果の哲学と宗教

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2026/01/14 心のしこりが世界を形づくる――行為・認識・因果の哲学と宗教

はじめに――倫理の前にあるもの

倫理や道徳は、しばしば「どう行為すべきか」という形で語られます。いわゆる黄金律――「自分がしてほしいように他者にもせよ」――は、その代表例でしょう。しかし現実の人間は、そのような指針を知っていても、同じようには振る舞えません。そこには、意志や善悪判断以前に、もっと根の深い層が存在しています。
本稿では、黄金律そのものではなく、黄金律が必然的に立ち現れてしまう人間の構造を、二つの身近な事例を通して整理します。そしてそれを、哲学的・宗教的な観点から、まとめてみたいと思います。

1.二つの事例に共通する直感

(1)いじめる者は、いじめられてきた

いじめの問題を考えるとき、しばしば次のような指摘がなされます。いじめを行う子ども自身が、家庭や社会の中で、尊重されず、否定され、圧迫されてきた経験を持っている。この説明は、いじめ行為を正当化するものではありません。しかし同時に、他者との関係を「力」や「上下」でしか捉えられなくなってしまう心の形成過程を、的確に示しています。

(2)お金を使わない人の見え方

もう一つの事例は、より日常的なものです。同じように「お金を使わない」人を見ても、ある人は「けちな人だ」と感じ、ある人は「つつましい人だ」と感じる。この違いは、事実の違いではありません。解釈の違いです。そしてこの解釈は、見る側の内面状態を驚くほど正確に映し出します。

2.哲学的前提――人は世界をそのまま見ていない

2-1.現象学的視点

現象学の基本的な洞察は、次の一点に集約できます。人間は、世界を「客観的事実」として見るのではなく、 常に「意味づけられた世界」を生きている。私たちは、色・音・行為・出来事を、価値や文脈から切り離して認識することができません。

2-2.世界は「読む」もの

この立場から見ると、人間は世界を見ているのではなく、むしろ世界を「読んでいる」と言った方が正確です。危険な世界を生き延びてきた人は、世界を「警戒すべき場」と読み、安心が保障されてきた人は、世界を「選択可能な場」と読む。お金を使わない人を「けち」と読むか「つつましい」と読むかは、この読み方の差に他なりません。

3.投影という避けられない働き

3-1.投影は防衛ではなく構造

心理学では「投影」という言葉が使われますが、これは単なる欠点や誤りではありません。人は、自分の内側にある未整理の感情や衝動を、 外界に写し出すことで世界を理解しようとする。これは、人間が世界の中で自己を位置づけるための、避けられない認識構造です。

3-2.直感的に見えてしまうもの

特に重要なのは、理由を考える前に、直感的に「そう見えてしまう」ものです。それは、長年の経験によって形成された心の癖――いわば生き延びるために身につけた読み方が、無意識に働いている結果です。

4.宗教的説明①――業(カルマ)としての因果

仏教における「業」は、しばしば誤解されますが、本来は行為に対する外的な報酬や罰ではありません。業とは、行為によって形成される心の傾向性です。

4-1.いじめの因果を業として見る

否定され続けた心は、世界を「否定が前提の場」として読む。その読みが行為を生み、行為が、その世界観をさらに強化する。ここには「罰」も「裁き」もありません。ただ、そういう世界に住む心が、形づくられていくという存在論的な因果があるだけです。

5.宗教的説明②――神道における「穢れ」

神道の「穢れ」は、道徳違反ではありません。それは、生命や関係の流れが滞った状態を指します。言葉にならなかった悲しみ、受け取られなかった尊厳、解消されなかった恐れ――これらが心に澱のように残ると、世界の見え方が偏り、他者との関係に摩擦が生じます。穢れとは、世界の読み方が固着した状態とも言えるでしょう。

6.キリスト教的視点――心に満ちているもの

福音書には、次のような言葉があります。人は心に満ちているものを、口にし、行為にあらわす。人が他者の中に見てしまう「冷酷さ」「敵意」「不足」は、多くの場合、かつて自分が浴びてきたもの、あるいは抱え込んできたものです。裁きが厳しい人ほど、厳しく裁かれてきた記憶を内に持っています。

7.二つの事例を貫く一本の因果

以上を踏まえると、二つの事例は次の一文に集約できます。人は、世界をそのまま見るのではない。 これまで生き延びるために身につけた「読み方」で、 世界を読んでしまう。そして、その読み方が行為を生み、 行為が、同じ世界を確証する。ここに、倫理以前の因果律があります。

8.黄金律との位置づけ

黄金律は、「どう行為すべきか」を示す倫理命令です。本稿で扱った内容は、「なぜそう行為してしまうのか」を説明する存在構造にあたります。黄金律は出口の教えであり、ここで述べた因果は入口の理解です。入口を理解しなければ、出口の倫理は空回りします。

おわりに――裁く前に一拍置く

もし私たちが、他者の行為や態度に強い評価を感じたとき、なぜ私は、そう見えたのだろうかと一拍置くことができれば、世界の見え方は少し変わります。それは他者を甘やかすことでも、善悪を曖昧にすることでもありません。むしろ、人が人として、どう世界を生きてしまうのかを正確に見ようとする姿勢です。倫理は、その先に静かに立ち現れてくるものなのだと思います。

 

 

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