何もできない場所に立つ

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何もできない場所に立つ

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2026/01/09 何もできない場所に立つ

ある日、若い父親が、ひとりで訪ねてきた。 幼い子どもがいるのだという。 生まれて間もないその子には、重い病があると聞いた。

その日は父親ひとりだった。 しばらく黙っていた。
人は、何かを願うとき、言葉を探す。 けれど、言葉が見つからない願いというものも、確かにある。 この父親の願いは、そういう種類のものだった。
病の理由も、結果も、意味も、分からない。 「なぜ」という問いに、はっきりした答えは与えられない。
それでも、人はここに来る。

人は、何かを成し遂げているときよりも、 むしろ「何もできない」と知ったときに、 思いがけず、人生の深い場所に立ってしまうことがある。
何もできない。 選べない。 止められない。
それは無力だが、同時に、取り繕いのきかない場所でもある。 うまく説明する言葉も、 自分や他人を納得させる理屈も、 そこには届かない。
役に立つかどうか、意味があるかどうか。 そうした物差しが、ふと外れてしまう場所がある。

人は、役に立とうとする。 成果を出そうとする。 評価されることで、自分の立ち位置を確かめようとする。
だが、人生には、どうしてもそれが通用しない局面がある。 努力も、才能も、計画も、 ほとんど効かなくなってしまう時間がある。
病の前では、特にそうだ。
親であるということも、 強くあろうとする意志も、 ここでは思うように働かない。
それでも、その場所に立っていること自体が、 すでに何かを引き受けている姿なのだと、私は思う。
逃げずに、代わらずに、 その子のことを思い続けている。 言葉にならないままでも、祈りの場に足を運ぶ。
それ以上のことを、人は簡単には求められていない。

自分の力が及ばないと知ったとき、 人は初めて、世界が自分の思惑だけで動いていないことを思い出す。
弱さは、誇るものでも、美化するものでもない。 ただ、否定しきれない現実として、そこにある。
そして不思議なことに、 その現実を引き受けたとき、 それまで見えなかった景色が、かすかに見えてくることがある。
世界は、人が思うほど、 人の力だけで成り立ってはいない。
だから、何もできない場所に立つ人間を、 世界がすぐに切り捨てるとは、限らない。

毎日、祈祷をこちらでさせていただくことを説明し、
その心願成就の祈祷の依頼をお引き受けした。
父親は静かに、こう話してくれた。
「元気なときがあれば、 そのときは、連れて来たいと思っています」
その言葉を、私はありがたく受け取った。 来られるときでいい。 無理のないときでいい。 連れて来られなくても、祈りは途切れない。
祈るということは、 代わりに生きることでも、 結果を保証することでもない。
ただ、託されているあいだ、 その子のことを祈り続けることだ。

その父親は、思うところを多く抱えながら、
いくらかは、私に問いながら、しかし、多くを語らなかった。 語られなかった思いは、確かにそこにあった。
何が変わったのかは、分からない。 何も変わっていないのかもしれない。
それでも、変わらないまま立ち続ける、ということがある。 答えを持たないまま、 誰かを思い、祈り続ける、という生き方もある。
役に立たなくてもいい。 説明できなくてもいい。 結果がすぐに現れなくてもいい。
連れて来られる日が来たなら、 そのとき、またここに来ればいい。
その父親のこと、その子のことを
私は思いながら、 今日も祈っている。

 

 

修生会

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