記憶に残るパリの街角での小さな出会いから流れた半世紀の時間

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2026/06/25 記憶に残るパリの街角での小さな出会いから流れた半世紀の時間

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1970年代半ば、今から思えば半世紀ほど前のことである。

私はパリを歩いていた。シャンゼリゼに近いあたりの大きな交差点だった。四車線の道路をまたぐ横断歩道を渡ってくる一人の若い女性がいた。年齢は私と同じくらい、二十歳前後だったように思う。

彼女は私の前まで来ると、フランス語で何かを尋ねた。

「Quelle heure est-il maintenant ?」

私はフランス語が分からない。しかし、ちょうどその直前に自分の腕時計を見たばかりだったので、時刻を聞かれたのだとすぐに分かった。覚えていた数少ないフランス語の会話表現とも一致していた。

私は言葉の代わりに腕を差し出し、文字盤を見せた。

彼女はそれを見て小さくうなずき、そのまま歩き去った。

ただそれだけの出来事である。

おそらく十秒もなかった。

その日の空気まで、私は今も思い出すことができる。

十一月だったが、朝の冷気はそれほど厳しくなかった。時刻は午前八時ごろだっただろうか。街はすでに目覚めているが、人通りはまだ多くない。車もまばらだった。

女性はやや軽装ながら落ち着いた服装をしていた。華やかというよりシックという言葉が似合う。表情はあまり動かなかったが、不機嫌というわけでもない。パリの朝の光の中に、ごく自然に溶け込んでいた。

私はその頃、ブローニュの森に近い街を歩いていた。特に目的地があったわけではない。異国の街を見て回りたいという好奇心に導かれていただけだった。将来のことも、今ほど明確には見えていなかったように思う。

それなのに、不思議なことがある。

パリで見た有名な建物や観光地の記憶には曖昧な部分が少なくないのに、この短いやり取りだけは鮮明に残っている。

人生を振り返ると、記憶に残るものは必ずしも大きな出来事ではない。

人生を変えた決断でもなく、劇的な成功でもない。

むしろ、何気ない朝の光景や、見知らぬ人との短い会話にならない会話のほうが、長い年月を生き残ることがある。

おそらく人は、出来事そのものを覚えているのではない。その瞬間に感じた空気や温度、自分自身の在り方を一緒に抱え込んでいるのだろう。

あのときの私は若く、異文化への好奇心に満ちていた。知らない街を歩き、知らない言葉を聞き、世界の広さを肌で確かめようとしていた。だからこそ、あの十秒の出来事は、当時の私自身を象徴する一場面として残り続けているのかもしれない。

その後、私は「またパリに来よう」と思った。

しかし、その願いは今も叶わないままである。

叶わなかったからこそ、この記憶は消えずに残ったのかもしれない。もし何度も訪れていたなら、数多くの新しい記憶の中に埋もれていた可能性もある。

年月は静かに過ぎていく。

気がつけば半世紀近い時間が流れていた。

それでも、ときどき心の中にあの朝の交差点が現れる。人影の少ない歩道、穏やかな空気、腕時計の文字盤、そして見知らぬ若い女性の姿。

人生で本当に記憶に残るものは、案外そのようなものなのだと思う。

大きな出来事ではなく、誰かに語れば数十秒で終わるような小さな場面である。

けれど、その小さな場面の中には、その時代の自分と、その時代にしか存在しなかった世界が静かに息づいている。

 

 


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