本当の自分は存在しない。何者にもなれる成長と再生

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本当の自分は存在しない。何者にもなれる成長と再生

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2026/04/25 本当の自分は存在しない。何者にもなれる成長と再生

新しい光の道を歩む
人はしばしば、「本当の自分」というものがどこかにあると信じている。まだ見つかっていないだけで、心の奥深くに変わらない核のようなものが眠っていて、それを見つけられたときにようやく人生が定まるのだと考える。しかし長く人の歩みを見つめていると、その考え方そのものが、ひとつの優しい幻想であるように思えてくる。
人は、生まれたときからすでに世界のなかで役割を引き受けている。赤ん坊が泣くのは、ただ苦しいからだけではない。泣くことで周囲の大人の気配を動かし、自分に必要なものを引き寄せている。その小さな身体で、まだ言葉も持たないまま、すでに世界との関係のなかで一つの役割を演じている。成長するにつれて、その役割は少しずつ増えていく。子であり、友であり、親であり、仕事を持つ者であり、誰かにとっての支えになる。人はそのたびに、新しい顔を身につけて生きていく。
けれど多くの人は、その仮面を偽物だと思ってしまう。笑っている自分は本当ではない。強く見せる自分は演技だ。静かに振る舞う自分は無理をしている。そうして、どこか別の場所に「本物の自分」がいるように感じて苦しむ。しかし実際には、人は仮面によって自分を偽っているのではなく、仮面を通して自分を形にしている。繰り返し身につけた表情は、やがて皮膚のように馴染み、その人そのものになっていく。外から見れば、それが役割なのか、その人の本質なのか、もはや区別はつかなくなる。
宗教の道を歩くなかで、そのことを感じる場面がある。人の前に立ち、祈りを扱い、言葉を渡す。相手を通じて自分自身の未熟さが見えてくる。目の前の誰かのために静かな顔を選んでいる。その静けさを引き受けているうちに、違和感が大きくなる。やがて潜在意識がその仮面に流れ込んでいく。本来の己の姿が現れてくる。それを一旦容認する。
その過程は、美しいだけではない。高みに触れようとする歩みのなかで、何かを失う。古くから手元にあった書籍が離れていくこともある。長く語り合った友人が去っていくこともある。大切に守ってきた自分の誇りが、音もなく崩れていくこともある。装丁の美しい権威ある本棚の前に立ちながら、その知識に守られていた過去の自分が、静かに終わっていくのを感じる瞬間がある。失うということは、目に見えるものがなくなるだけではない。その人が「自分とはこういう人間だ」と信じてきた輪郭そのものが薄れていくことでもある。
そこに残るのは、しばしば虚無感である。昨日まで意味があったものが、急に手触りを失う。親しかった声が遠くなり、読み返していた言葉が胸に届かなくなる。部屋に差し込む夕方の光だけが妙に静かで、湯呑みから立ちのぼる湯気だけが現実に見える。何も失っていないように見えて、内側だけが空になっている。あの感覚は、悲しみとも少し違う。怒りとも違う。ただ自分という器の中が、一度、からになってしまったような感覚である。
けれど人を変えるのは、特別な出来事だけではない。多くの場合、人を次の場所へ運ぶのは、派手な奇跡ではなく、その後に続いていく日常である。朝が来れば起きる。湯を沸かす。扉を開ける。人に会えば言葉を交わす。何も解決していないのに、生活だけは静かに進んでいく。そのなかで、語るべき言葉が減り、寡黙しか選べない日々が訪れることがある。以前なら説明していたことを、あえて語らなくなる。理解されようとする力が少しずつ抜けていく。すると、沈黙の奥で、これまで聞こえなかった自分の深い声がわずかに響き始める。
人はそこで初めて知るのかもしれない。本当の自分を探していたのではなく、古い自分を少しずつ手放していただけだったのだと。失ったものは消えたのではない。それらはその人の奥で静かに形を変え、新しい人格の土台になっている。混乱も、悲しみも、怒りも、その瞬間には人生を壊すものに見える。だが時間のなかで振り返ると、それらはむしろ高みへ押し上げるための見えない力だったと気づくことがある。
何者にもなれるというのは、好き勝手に自分を変えられるという意味ではない。苦しみのあとに残った静かな器の中へ、もう一度新しい生を受け入れられるということである。人は一度壊れたあとにしか、見えない景色がある。そしてその景色を知った人だけが、以前とは違う日常の中を、以前よりも深く歩いていける。
失ったあとにしか始まらない人生がある。混乱のあとにしか見えない光がある。もし今、何かを失った只中にいる人がいるなら、その空白を恐れなくてもよい。その空白は終わりではなく、次の自分が静かに入り込むために生まれた余白なのかもしれない。そう思えたとき、人はようやく、自分というものに縛られず、新しい一日を生き始めることができるのである。

 

 


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