「令和五年 阪神淡路大震災、東日本大震災 追悼の集い式辞」

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「令和五年 阪神淡路大震災、東日本大震災 追悼の集い式辞」

お知らせ

2023/02/08 「令和五年 阪神淡路大震災、東日本大震災 追悼の集い式辞」

「令和五年 阪神淡路大震災、東日本大震災 追悼の集い式辞」

 

本日、ここに、阪神淡路大震災、東日本大震災追悼の集いを執り行うにあたり、それらの震災や津波でお亡くなりになりました多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の意を表します。

 

思いのある方々の参集を得て開催させていただいてきたこの追悼の集いは、昨年、霊祭をこの道場で執り行い、新型コロナウイルス拡散防止のために、皆様方にご自宅でお祈りをしていただく運びとなりました。地震、津波ばかりが大きな災害ではなく、疫病のはやりが、この行事の姿を変えることになりました。本年は、その共存の理解が深まっての霊祭となります。

 

平成七年一月十七日の早朝の地震により、阪神間から淡路島にかけて多くの被害がありました。家屋やビルディングが倒壊し、六千四百人あまりの方が、家屋や家具の下敷きになり、短い時間のうちに圧死され、また、火災で、お亡くなりになった方もいらっしゃいます。それから、二十八年経ちました。

 

平成二十三年(二〇一一年)三月十一日の午後に宮城県沖を震源とした大規模な地震と、それによって生じた大津波で、一万八千人あまりの方がお亡くなりになり、また行方不明となられています。また原子力発電所の大きな事故を引き起こしました。十二年前のことです。

 

その映像を、私は、インターネットでリアルタイムに観ることになりました。悲惨な状況を伝える映像でした。撮影しているテレビ局のカメラマンは、彼方から撮影し、アナウンサーは、その映像を眺めながら、何かしらの言葉を大量に吐くばかりなのです。そうしかできないことが、私たちのできることなのだと知ることになるのです。

阪神淡路大震災で、私は、神戸の住まいを離れました。部屋の中で、家具が倒れ、いろいろな物が床に散乱しました。幸いにも、それまでから私なりにベッドに物が倒れ込まないように配慮をしていたこともあって身体は無事でした。多くの人が、冬の、まだ夜の明けないそのころに表に出てきていました。ラジオを持ち出している人もいましたが、その地震についての必要な情報が得られません。

 

ひとしきり様子を見たのち、自分で正しい判断をしているつもりで、冷蔵庫のリンゴをいくつも紙袋にいれて、六甲山に向かおうとしたのです。生き延びようとして、そうではない振る舞いをしようとしていたのです。

 

白い犬が、山に向かっていき、しばらくして、降りてきました。山が大丈夫だと私は思ったのです。街が安全だということだったのかもしれません。

部屋の中は、棚などが壊れたりして、足の踏み場がないにしても、空が明らみ、その状況を確認して、あらためて、真近の友人と部屋を出ました。徐々に状況が分かってきました。公共の交通機関は動かず、道路のあちこちが使えないらしい、消防士さんが活躍し、他方で付け火をしているという噂が立っていました。

 

正常に営業できる状況ではないはずの店で食事をさせていただきました。お互いさまということで、お世話をなさる方がいます。一方で、この機会とばかりに高額な価格にして儲けようとする人も見かけました。周辺から避難していた人たちが、ある建物のロビーに避難していました。建物の所有者からの通報で警察がきて、彼らは、排除されたようでした。

 

日常は、なにから何までもあたりまえのことがあたりまえに機能している状況だったと、不具合が出て、気づくことになるのです。

 

動きのとれないその地を離れ、出雲、津和野、岡山で三週間を過ごし、その後、二年間、明石の友人のお宅でお世話になりました。

 

それまでの自分を失ったことで、新たな自分と、新たな思い出をいただくことになります。大きな学びや気づきを得ます。

 

当時、被災者の避難を警察によって追い出した施設は、その後、売却され、別のオーナーになりました。高額で商品を売りに来ていたショップも、オーナーが変わりました。

歴史の中のわずかな時間の内で生じる状況の大きな変化が、叡智で知られる経過の全貌を一気に見せるのです。

 

本日、阪神淡路大震災、東日本大震災でお亡くなりになった方々の慰霊や供養を神さまのおわすこの場で、行わせていただきました。祈りが、お亡くなりになった方々に働きかけ、お喜びいただくことが、私たちの生かさせていただく糧なのです。

 

大きな災難でお亡くなりになった方々の中には、人の魂のありようを失い、数週間後の慰霊では、何者とも分からない姿で立ち現れられる方も大勢おられました。数か月、あるいは何年かの時間で魂は、浄化し、本来の姿に立ち返ろうとします。突然の災害が生命を失わせたかに見えても、その魂が、現実に及び、思い残したことを生きている私たちを通じて成就させようと働くのです。

 

ここ、兵庫県姫路市において、本日の集いに臨み、大きな自然災害や疫病での大きな苦難の解決が、今後、大きな苦難を招かないように、あるいは不測の事態によって負った心の傷を、どなたもが安心して治癒できる社会が必要です。

 

貴い犠牲を日本の未来に活かすために、私たちのだれも使命を果たし、心ゆたかな社会の実現に勤(いそ)しむことを祈っています。

 

終わりに、阪神淡路大震災と東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福と、ご遺族並びに被災者の方々の今後のご多幸を心からお祈りし、併せて関係者の皆様方のご健勝をご祈念申し上げます

 

令和五年年一月十七日
修生会 会長 中遷鳳徳

 

 

修生会

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